映画「アサガオが咲いた日」の脚本第2稿が完成しました。前回の脚本会議から1ヶ月半。社会人は油断しているとすぐ時間が経ってしまいますね。気をつけなければ……
第1稿が完成してから、脚本会議を経て、この日まで、課題となっていたのは、丁寧に関係を描くこと。雑に扱っていたキャラクターにも意義を持たせることです。
助監督2人のチェックによって、話の矛盾点や違和感はかなり修正できてきました。今のままでも、とりあえずお話としては走り出すようにはなりました。やはり人の目を通すというのは大事ですね。
そして今回、チェックを受けて感じたのは、チェックをあとで受けるのだという緊張感が、脚本を書く人間にもたらされるという利点です。私は監督ですし、映画を売る相手もいませんから、ほんとうに好き放題やっています。ですから、ここで自分を監査する立場がひとつできることは大きな変化なわけです。”なにか活用できる表現はないか……”、”かっこよく伏線にできるところはないか”とちゃんと思案するようになりました。
第2原稿を完成させてみて思うのは、物語にはほんとうにたくさんのパターンがあり得るのだな、ということ。
今回は非常に繊細というか、絶妙な心理状態の登場人物2人の物語が展開するため、「こっちの展開も、あっちの展開も出せる」と、物語展開の幅がとても広くなります。進路選択が豊富なわけです。
第2原稿執筆によって、エンディングの様子が大きく変わりました。何を描きたいのか、で、改めて迷い直している現状です。どっちも描きたい。でも、物語の筋は1つしか決められません。
脚本を書くということは、0から有を生み出す創発的な行為であると同時に、登場人物たちのあり得た可能性を捨てていく、取捨選択でもあるのかもしれません。