表題の通り、脚本を無事書き終えることができました。すぐに書き終えられるかと思いきや、前回の投稿から半月が経ってしまいました。なかなか筆を執る余裕がなく、昨日思い切り書いて、そのまま書き終えてしまいました。半日はずっと書いていたでしょうか? ほかの案件は全部無視して書きました。作品って、書くモチベーションが高いときに一気に書く方がいいものができるので、まあよかったのではないかな、と思っています。
大まかな内容
会社を辞めて独身フリーター生活をしている主人公が、大学時代によく集まっていた友人に会いに行くお話です。そこに、ひそかに思いを寄せていた女性もやってきます。華々しい生活を送る同期に最初はコンプレックスを感じていた主人公ですが、昔のことを打ち明け合って、元気を取り戻していくのです。
まあこれだけ見ればちゃんとした話のようですが、要するに若いときにモテなかった人間の妄想がふんだんに盛り込まれております。
ぼくもよく夢を描いた頃よりは少し心がやつれているので、脚本を書くときは自分の夢というよりは、ノスタルジーのようなものを中心に書き進めました。
また、今作では、”ラジオ”と”アサガオ”という、ふたつのシンボルが登場します。ぼくの作品では、これまでも星だとか花だとかがシンボルに添えられたことはありましたが、おそらく今作は、シンボルというものにもっとも意識を向けた作品です。シンボルがあるだけで、びっくりするほど書きやすくなりました。
恋愛映画の目標とは
恋愛映画は、もちろんダイナミックなものもありますが(というかそういう状況設定にしないと人を引き込めない)、基本性質は心情の映画だと思っています。登場人物の、内面をかたどっていくということです。これがなかなか難しくて、”告って、付き合って、結婚して”だけが登場人物の課題設定だと、ストーリーをしっかり展開しきれないんですね。ですから、ライバルの登場だとか、ヒロインの病だとかがよく使われるわけです。
今作ではそれが、比較的上手に解決できたと思っています。現在の軸では、主人公が無気力な生活を克服するという課題設定、過去の軸では、主人公とヒロインがアサガオを育てる、という課題設定が置かれています。つまり、恋愛映画ではあるのですが、あくまで目標はそれを別にして、話が動いていくわけですね。それに付随して恋愛感情が動くという。
じつはぼくはこういうスタイルの方が好みでもありまして。「付き合うことそのもの」を最初から目的にしてしまうと、恋愛というのはなんだか野性的なものに見えてしまうような、そんな気がするんですね。物語の中で、恋愛はふとしたことから湧き上がってきて欲しい、そんな感じがします。
過去の延長に生きる私たち
今作の主人公は、同窓会でヒロインに会って、昔の話をする――それだけです。昔の話をするだけで、過去の出来事が変わったりしないし、「さあヒロインと付き合おう!」となるわけでもないです。つまり、なにか大きく物事が動く、ということはないのです。
しかし、時間を置いたからこそ伝わる真実というものが、今作にはあります。そこで、過去は変わらなくても、過去の意味づけが変わってきます。私たちは今という時間にしか生きられませんが、それが過去の延長線上にあることは事実です。どんなに細々としたものであっても、過去の喜びとか悲しみとか、勢いとか屈辱とか、そういったものの積み重ねはぼくらの心に確実に生き残っている……ですから、過去の意味が変わるということは、今にとってもとても大きいことだと、ぼくは思うんですね。
年を取るということは、正直、ぼくは好ましからざるものだと思っています。感受性は弱まるし、頭も鈍くなり、身体も弱くなります。お金はちょっと増えるかもしれませんが、それで楽しむだけの活力や繊細さみたいなものは、少しずつ確実に失われていくわけです。それでも、今作で、「案外年を取るってのも悪くないんじゃないか?」と思ってもらえればいいな、とぼくは思っています。
これから、川添君と鈴木君に、脚本を見てもらいます。さて、ぼくの妄想はどう変わっていくのか? 意味づけに変化は起きるのか? お楽しみに。