花園
庭、と聞いて、多くの人は思い浮かべるだろう。きらきらと午後の日が差した、淡い緑の、清々しい庭を。
しかし、私が幼いころから足繁く通った祖母の家の庭は、とてもそんなものではなかった。日当たりの悪い、薄暗く狭い庭に、日が差す方へと形を曲げた奇妙な木々が並んでいるだけの、お粗末なものだった。雑草は無秩序に繁茂し、花は木の陰に隠れて今にも枯れてしまいそうで…
どうしてわざわざこんなところに、庭など作るのだろう、と私はしばしば考えた。祖母が、折れ曲がった背を精一杯に垂れて、雑草などを懸命に取り去っているところを見るとなおさらだった。
だが、きっと何か事情があるのだろう、と察するくらいの能はあったので、特に祖母に尋ねるようなことはなかった。木の剪定を年に一度手伝うくらいで、それだって頼まれてやっているだけだった。
そんなある日、私は、庭で一羽の小鳥が、柿の実を食しているのを見つけた。小さな鳥が、柿の実をつつくようにして頬張っている。ちょうど日が頂点に達する時刻で、庭にもわずかながら日が差し込んでいた。
と、突然、鳥の尾羽が一本、庭に落ちた。あまりにも急な出来事だったので、私は目を見張った。鳥の羽が抜ける瞬間など、見たことがなかったのだ。
少し気にするそぶりはしたものの、鳥は再び柿の実を食べ始めた。しかし、その時。突然木が揺れた。室内からはわかりにくいが、少し強い風が吹いたのだった。
一瞬、鳥から目が逸れた。鳥はどこかと目を凝らしたが、まるで魔法のように、それは消え去っていた。驚くべきことだった。
それからしばらく時が経った。
私は高校生になった。祖母の家に行く機会も減ってきた、そんなころだった。私は、予期せぬ機会から、祖母の家の話を聞くこととなった。母からだ。
ふとしたことから、私と母は家の立地条件の話をしていた。駅からどれくらい近いかとか、騒音とか日照とか、それでどう値段が変わるのか、興味深げに聞いていたのだ。悪い条件の例として祖母の家が挙がったことは、言うまでもない。
「駅まで歩くのに苦労するのに、どうして引っ越さないの。ずっとあの家なの。」
引っ越しにどれくらいの費用がかかるのか、まだ知らなかったが、私はそれとなく母に問うた。すると母の口から、全く考えもしなかった答が出された。
「おばあちゃんの弟がね。戦時に突然いなくなっちゃったんだって。家に帰ってこないから、必死で探したらしいんだけど、とうとう見つからなかったみたい。でも、おばあちゃんはまだ帰ってくるって信じていて、その時から家の場所を変えずに、ずっと待ってるみたいだよ。」
私はそれを聞いた時、何だか急に切なくなった。そんなまるで物語のようなエピソードがいざ身近に突きつけられると、不思議な感じがした。祖母は、好んであんな家に住んでいたわけじゃなかったのだ。
「でも、なんで庭まで。」
家はつい最近改築していた。だというのに、なぜわざわざ庭まで残したのだろう。
「さあ。そこまでは…」
母は口ごもって、居心地悪そうにキッチンへと立った。それはそうだ。いくら娘とはいえ、親の事情を根掘り葉掘り聞いているわけでもあるまい。それでも、今まで知らなかったもう一人の家族の存在を知った私は、複雑な心境だったのを覚えている。
何日か経って、私はとあるきっかけから、祖母の家を訪れた。またとない機会だと思い、私は大叔父のことを尋ねることにした。かといって、本人には聞きづらいもの。小心者の私は、祖母と同居している、大叔母に彼のことを尋ねた。
「おばあちゃんには、弟がいたって本当なの。」
静かに、さりげなく聞いたつもりだったのだが、大叔母はいささか当惑した様子だった。彼女は部屋の中を右往左往すると、日差しの入らぬようカーテンを閉め、それから新聞紙をまとめ、仏壇に線香を立てた。そうしてついにすることがなくなると、今度は一回のキッチンに向かおうとした。私はいけない、と思って、今度は少し強めに言った。
「本当なの。」
大叔母は立ち止まると、少し考えるように俯いて、やがてゆっくりと振り向いた。そして次の瞬間、彼女は乾いた唇を動かして、ささやくような声で話し始めた。
「ええ。いるわ。でも、小さいころ突然いなくなってしまって、それ以来、一度も会うことはないのよ。だからあんたが気にするようなことじゃ…」
大叔母はそこで言葉を切ると、今度は暗い、と言ってカーテンを開いた。窓から柿の木が見えた。見下ろせば庭を見ることもできる。きっと今の時刻は、祖母が水やりをしているだろう。私は沈黙の間が嫌になって問い詰めた。
「気にすることだよ。私はずっと、その家族の存在を知らなかったんだよ。どうして教えてくれなかったの。隠し事をしていたの。」
大叔母はもう耐えかねるというふうに肩を落とすと、改めて私に向き直り、さっきより少し大きな声で話した。
「だって、正直なところ、もういるかどうかわからない人よ。教えたってなんにもならないし、むしろ考えるだけ余計な労力じゃない。おばあちゃんを見てごらん。何十年も経っているのに、家も何度も改築しているっていうのに、同じ土地にずっと住み込んで、あのころの庭だけでも保とうと必死なの。どう思う。ひどい徒労というものじゃない。自分の姪孫にも同じようになってほしくなかったの。」
大叔母は実に嘆かわしいとでも言うように、庭を歩く祖母を見た。私も日差しを手で遮って、祖母を眺めた。とても孤独で、寂しげに見えた。
頭を必死で働かせたが、返事の言葉は見当たらなかった。けれど言葉には表せなくても、私の心中には、もやのような、なにか不快なものがあった。
けれど、大叔母の複雑な表情を見ると、それはこの二階から祖母を見たことがある者の、共通の意志だと知れた。気のやり場を失った私は、空を見上げた。青空に転々と雲が浮かんでいた。現実味のある風景が、私の心を癒した。
その日、祖母の家から帰るとき、私は不意に、庭に入ろうとした。家族の立場を、少しでも解そうとする本能からだった。しかしどうだろう。玄関口の色褪せたタイルから、その湿った土までの距離が、私には異常に長く感じられた。二人の話を聞いた私には、その庭がひどく神聖で、不可侵なもののように思われてならなかったのである。
それからまた数ヶ月が経った、雨の日だった。
私と祖母と大叔母は、雨音を聞きながら、紅茶を飲んでいた。ちょっとした雨宿りで帰り道に寄ったところ、雨が止まず、つい長居をしてしまったのだった。祖母の昔話が長引いて、庭の話が出た。私はいつになく興味を持って、その話を聞いた。
祖母は、紅茶を一口すすると、その話を始めた。
「前の家の庭はとてもきれいでねえ。季節ごとにきれいな花が、それはもう花園のように咲き誇っていたのよ。若緑の芝生が広がっていて。ねえ、よく木から柿を取っては、二人で美味しく頬張っていたわよねえ。」
祖母が懐かしげに大叔母に問うた。すると大叔母は、
「何を言ってるのよ。いつもちょっと口にしては、まずいだの、嫌だだの言っていたじゃないの。」
と言った。二人は小さく笑った。
「あら、そうだったかしらねえ。でも、戦争中は食べ物がなかったから、とにかく何でも食べたのよ。あんたはいい世の中に生まれたわよ。あたしたちなんか、青春はずっと戦争だったんだから。」
祖母はそう言うと、また紅茶をすすった。またいつものように大空襲や勉強の話になりそうだったので、私は慌てて話題を変えた。もう嫌と言うほど聞いていたのと、勉強がそのころ不調だったのがあって。
「じゃあ、あの柿はその時の?」
祖母と大叔母は同時に首を振った。祖母は静かにティーカップを置くと、また話を始めた。雨音も静かになってきていた。
「ううん。ちょっと事情があって引っ越してきたの。もう何だったか忘れてしまったけれど。前の大きい家に比べて、路地裏の、狭いこの家に、私たちも弟も憤慨していたわ。ふふふ。今となってはこの家だって広すぎるくらいだけれど。でも父さんがいつか立派な家を建ててやるからって言うから、我慢していたわ。結局あのあと父さんは…ああ、柿の話だったわね。その時、狭いあの庭の中でも一番日が当たるところに、柿の種を植えたの。」
祖母は窓から庭の柿を眺めた。木は雨に濡れていた。今日は鳥はいなかった。あの尾羽ももう落ちてはいない。
祖母はまた紅茶をすすった。雨は止み始めて、落ち着いた、ポツポツというリズムを奏で始めた。
「一生懸命世話をしてね。いつか前の家の柿のように、立派な木を育てよう、って。十何年か経って、ようやく実がなったわ。ふふふ。もちろん口が裂けても美味しいとは言えないものだったけれど。もうそのころ、両親も、弟もなかった。厳しかったけれど、利口な人だったわ。あんないいお母さんになりたいと思ったけれど、ついになれなかったわねえ…」
ティーカップの紅茶ももうなくなっていた。
「そんなことないよ。」
私はそう言うと、窓の前に立った。それまで以上に柿が立派に見えた。祖母は待っているのだ。柿や、花や、草を、粗末ながらも育てて。ずっと同じ土地に住んで。弟をいつしか満足させたいと。
私は切ない衝動に駆られた。大叔父がまだどこかにいるような気がした。
祖母たちはもう別の話(なにか歌の話のようだ)をして盛り上がっている。ティーカップには新しい紅茶が満たされている。
気付けば、雨はもうすっかり止んで、雲が開けて青空が見え始めている。
柿の木は青空に長い木の枝を伸ばして、今にも天に届きそうである。色づいた甘柿がまだいくつか残っている。
家の中は幼いころから探検しているけれど、大叔父の遺品は一つも見当たらない。庭だけが、残った記念品だったなんて。私は、その庭が、なぜか美しく見えた。どんな庭園や公園よりも、優雅で、歴史があり、立派なもののように…
その時だった。一羽の鳥が、雨上がりの青空から飛んできた。あの鳥とは違うけれど、きれいな鳥だ。尾羽は落ちない。上手に枝に止まると、柿の実にその長いくちばしを向けた。祖母は、柿の実をあまり評価してはいないようだったが、きっと美味しいのだろう。鳥が継いで来るくらいなのだから。
雨が止んだ様子だったので、私は、久々に自分の意志で庭に降り立った。植木鉢に足が触れた。慌てて整えると、また奥へと進む。鳥の尾羽が落ちたところには、雑草が生えていた。祖母がどう頑張っても、時の流れと自然には敵わないようである。いや、というよりむしろ、祖母にとっては庭を保全しようとすることが大事なのだろう。それが姉としての、責務だと思っているのだから。
でも、決してそれが無駄なようには思えない。母も私も、この庭を想っているのだから。
植木鉢の音に驚いたのか、鳥はもう飛び去っていた。食べかけの柿がある。いずれ落ちるかどうかして、なくなってしまうだろう。紅茶や、雨や、遺品と同じように。
鳥だって飛び去った。尾羽も消え失せた。
けれど、ここにはまた鳥が来る。それに、この庭はちゃんと待ち続けているのだ。今もなお、生き続けている人を。
私の祖母の、家の庭。
路地裏の、小さな花園には、今日もまた鳥がやってくる。